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平成29年秋季企画展「進化する縄文土器〜流れるもようと区画もよう〜」第3会場


開催期間:平成29年9月〜

平成29年秋季企画展「進化する縄文土器〜流れるもようと区画もよう〜」の第3会場として常設展示室に縄文時代中期の土器を展示しました。
縄文時代中期中葉(約5,300〜5,100年前)は、縄文土器の装飾がもっとも華やかになる時期で、さまざまな地域で独自のもようや装飾が生み出されました。東・北信〜北陸地域では流れるようなもようが、中・南信〜西関東地域では区画されたもようが好まれて用いられていたようです。縄文人のもようや装飾を生み出す感性には驚かされます。
またそういった人々が交流を盛んに行うことで、土器も運ばれていったり持ち込まれたりしました。交流を通じて、異なる文化が複雑に関わり合いながら土器のもようや装飾が進化していくこともあったようです。



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富裕農民の世界

吉田川西遺跡出土の副葬品
吉田川西遺跡出土の副葬品

開催期間:平成29年9月〜

 平安時代になると富裕(ふゆう)な農民が登場し、村の中には大きな建物があらわれます。当時、庶民は共同墓地にほうむられましたが、村の有力者はその身分に応じて、食器や鏡などとともに木の棺(ひつぎ)にほうむられました。
 塩尻市の吉田川西遺跡の墓からは、緑釉陶器の椀(わん)や皿、花と鳥の模様をあしらった青銅鏡(せいどうきょう)などが見つかりました。同じような品は、都の貴族の墓からも見つかっており、この墓の主(あるじ)が抜きんでた力をもつ人物だったことが想像されます。
 吉田川西遺跡出土の副葬品は、現在、国の重要文化財に指定されています。副葬品とともに、出土状況がわかるパネルもあわせてご覧ください。



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銭を使う人びと

常設展示室 中世「銭を使う人々」
常設展示室 中世「銭を使う人々」

開催期間:平成29年9月〜

 中世になると、中国で造られた銅銭(明銭・宋銭)が流通し、信濃国でもさかんに使われました。この時代は、お金を保管する場所としてもっとも安全だったのは庭や床下などの土の中でした。銭を木箱や甕(かめ)に入れて、土のなかに埋める風習が盛んにおこなわれたのです。こういった銭を埋納銭(まいのうせん)といいます。当時使われていた明銭や宋銭とともに、実際に銭が入れられたものではありませんが、松本市の北栗遺跡出土の常滑焼(とこなめやき)の甕を展示してあります。
 また、重要文化財の市河文書「市河盛房置文(いちかわもりふさおきぶみ)」や島津家文書「薄葉景光地頭職請文(うすばかげみつじとうしきうけぶみ」からは、税を貨幣で負担していた様子がわかります。鎌倉時代の中ごろから、遠隔地を中心に、現物でなく、貨幣で納税する習慣が起こり始めるのです。さらに戦国時代になると、土地の収穫高や面積を銭に換算する貫高(かんだか)制度が一般化していきます。



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文書の世界のひろがり

常設展示室 近世「文書の世界のひろがり」
常設展示室 近世「文書の世界のひろがり」

開催期間:平成29年9月〜

 江戸時代は文書主義による社会です。土地を調べた検地帳、納税を記した年貢割付状(ねんぐわりつけじょう)、触書(ふれがき)、証文(しょうもん)、争いごとの訴えや和談などの文書、さらには田畑の売買証文などの村人同士の契約書にいたるまで、さまざまな文書が作成されました。その文書量は次第に増えていきます。
 こうした状況に対応して、文書の読み書きを教える寺子屋(てらこや)や私塾(しじゅく)の数が急速に増えていきました。江戸時代後期の信濃には、6163もの全国一を数える寺子屋や私塾が生まれました。読み書きを教えることのできる上層の農民や僧侶(そうりょ)、武士などは、自分の家を教室として、子どもや大人の生徒を集めて教えたのです。他村から師匠(ししょう)を迎える村もありました。民衆の読み書き能力は高まり、さまざまな契約も文書で交わされるようになります。寺子屋での読み書きだけでなく、さらに儒学(じゅがく)や国学(こくがく)、医学などの高い学問を学ぶ民衆もあらわれました。



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商標シルクラベル

常設展示室 近代 生糸とシルクラベル
常設展示室 近代 生糸とシルクラベル

開催期間:平成29年9月〜

生糸を輸出する際に、製糸会社が製品に貼布した商標がシルクラベルです。おもな輸出先であるアメリカに合わせて、製造社名、工場の所在地などが英語とローマ字で表記されています。シルクラベルの図柄は動植物をあしらったものや、武士や日本の神々を描いた日本的な意匠など、各社でデザインに趣向を凝(こ)らしています。このようなデザインの豊富さや面白さから、全国にはシルクラベルのコレクターも多いといわれています。当館では、以前よりシルクラベルを収集してきました。
今回は、その中から、長野県内の製糸工場のシルクラベルの一部を生糸の束とともに展示しました。ラベルに「RAW SILK(生糸)」という文字とともにその図柄をご覧いただき、明治から昭和期に、各製糸会社が信頼される製品づくりにかけた熱い思いの一端を感じ取っていただければ幸いです。



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平成29年秋季企画展「進化する縄文土器〜流れるもようと区画もよう〜」第3会場


開催期間:平成29年9月〜

平成29年秋季企画展「進化する縄文土器〜流れるもようと区画もよう〜」の第3会場として常設展示室に縄文時代中期の土器を展示しました。
縄文時代中期中葉(約5,300〜5,100年前)は、縄文土器の装飾がもっとも華やかになる時期で、さまざまな地域で独自のもようや装飾が生み出されました。東・北信〜北陸地域では流れるようなもようが、中・南信〜西関東地域では区画されたもようが好まれて用いられていたようです。縄文人のもようや装飾を生み出す感性には驚かされます。
またそういった人々が交流を盛んに行うことで、土器も運ばれていったり持ち込まれたりしました。交流を通じて、異なる文化が複雑に関わり合いながら土器のもようや装飾が進化していくこともあったようです。



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富裕農民の世界

吉田川西遺跡出土の副葬品
吉田川西遺跡出土の副葬品

開催期間:平成29年9月〜

 平安時代になると富裕(ふゆう)な農民が登場し、村の中には大きな建物があらわれます。当時、庶民は共同墓地にほうむられましたが、村の有力者はその身分に応じて、食器や鏡などとともに木の棺(ひつぎ)にほうむられました。
 塩尻市の吉田川西遺跡の墓からは、緑釉陶器の椀(わん)や皿、花と鳥の模様をあしらった青銅鏡(せいどうきょう)などが見つかりました。同じような品は、都の貴族の墓からも見つかっており、この墓の主(あるじ)が抜きんでた力をもつ人物だったことが想像されます。
 吉田川西遺跡出土の副葬品は、現在、国の重要文化財に指定されています。副葬品とともに、出土状況がわかるパネルもあわせてご覧ください。



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銭を使う人びと

常設展示室 中世「銭を使う人々」
常設展示室 中世「銭を使う人々」

開催期間:平成29年9月〜

 中世になると、中国で造られた銅銭(明銭・宋銭)が流通し、信濃国でもさかんに使われました。この時代は、お金を保管する場所としてもっとも安全だったのは庭や床下などの土の中でした。銭を木箱や甕(かめ)に入れて、土のなかに埋める風習が盛んにおこなわれたのです。こういった銭を埋納銭(まいのうせん)といいます。当時使われていた明銭や宋銭とともに、実際に銭が入れられたものではありませんが、松本市の北栗遺跡出土の常滑焼(とこなめやき)の甕を展示してあります。
 また、重要文化財の市河文書「市河盛房置文(いちかわもりふさおきぶみ)」や島津家文書「薄葉景光地頭職請文(うすばかげみつじとうしきうけぶみ」からは、税を貨幣で負担していた様子がわかります。鎌倉時代の中ごろから、遠隔地を中心に、現物でなく、貨幣で納税する習慣が起こり始めるのです。さらに戦国時代になると、土地の収穫高や面積を銭に換算する貫高(かんだか)制度が一般化していきます。



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文書の世界のひろがり

常設展示室 近世「文書の世界のひろがり」
常設展示室 近世「文書の世界のひろがり」

開催期間:平成29年9月〜

 江戸時代は文書主義による社会です。土地を調べた検地帳、納税を記した年貢割付状(ねんぐわりつけじょう)、触書(ふれがき)、証文(しょうもん)、争いごとの訴えや和談などの文書、さらには田畑の売買証文などの村人同士の契約書にいたるまで、さまざまな文書が作成されました。その文書量は次第に増えていきます。
 こうした状況に対応して、文書の読み書きを教える寺子屋(てらこや)や私塾(しじゅく)の数が急速に増えていきました。江戸時代後期の信濃には、6163もの全国一を数える寺子屋や私塾が生まれました。読み書きを教えることのできる上層の農民や僧侶(そうりょ)、武士などは、自分の家を教室として、子どもや大人の生徒を集めて教えたのです。他村から師匠(ししょう)を迎える村もありました。民衆の読み書き能力は高まり、さまざまな契約も文書で交わされるようになります。寺子屋での読み書きだけでなく、さらに儒学(じゅがく)や国学(こくがく)、医学などの高い学問を学ぶ民衆もあらわれました。



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商標シルクラベル

常設展示室 近代 生糸とシルクラベル
常設展示室 近代 生糸とシルクラベル

開催期間:平成29年9月〜

生糸を輸出する際に、製糸会社が製品に貼布した商標がシルクラベルです。おもな輸出先であるアメリカに合わせて、製造社名、工場の所在地などが英語とローマ字で表記されています。シルクラベルの図柄は動植物をあしらったものや、武士や日本の神々を描いた日本的な意匠など、各社でデザインに趣向を凝(こ)らしています。このようなデザインの豊富さや面白さから、全国にはシルクラベルのコレクターも多いといわれています。当館では、以前よりシルクラベルを収集してきました。
今回は、その中から、長野県内の製糸工場のシルクラベルの一部を生糸の束とともに展示しました。ラベルに「RAW SILK(生糸)」という文字とともにその図柄をご覧いただき、明治から昭和期に、各製糸会社が信頼される製品づくりにかけた熱い思いの一端を感じ取っていただければ幸いです。



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平成29年秋季企画展「進化する縄文土器〜流れるもようと区画もよう〜」第3会場


開催期間:平成29年9月〜

平成29年秋季企画展「進化する縄文土器〜流れるもようと区画もよう〜」の第3会場として常設展示室に縄文時代中期の土器を展示しました。
縄文時代中期中葉(約5,300〜5,100年前)は、縄文土器の装飾がもっとも華やかになる時期で、さまざまな地域で独自のもようや装飾が生み出されました。東・北信〜北陸地域では流れるようなもようが、中・南信〜西関東地域では区画されたもようが好まれて用いられていたようです。縄文人のもようや装飾を生み出す感性には驚かされます。
またそういった人々が交流を盛んに行うことで、土器も運ばれていったり持ち込まれたりしました。交流を通じて、異なる文化が複雑に関わり合いながら土器のもようや装飾が進化していくこともあったようです。



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富裕農民の世界

吉田川西遺跡出土の副葬品
吉田川西遺跡出土の副葬品

開催期間:平成29年9月〜

 平安時代になると富裕(ふゆう)な農民が登場し、村の中には大きな建物があらわれます。当時、庶民は共同墓地にほうむられましたが、村の有力者はその身分に応じて、食器や鏡などとともに木の棺(ひつぎ)にほうむられました。
 塩尻市の吉田川西遺跡の墓からは、緑釉陶器の椀(わん)や皿、花と鳥の模様をあしらった青銅鏡(せいどうきょう)などが見つかりました。同じような品は、都の貴族の墓からも見つかっており、この墓の主(あるじ)が抜きんでた力をもつ人物だったことが想像されます。
 吉田川西遺跡出土の副葬品は、現在、国の重要文化財に指定されています。副葬品とともに、出土状況がわかるパネルもあわせてご覧ください。



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銭を使う人びと

常設展示室 中世「銭を使う人々」
常設展示室 中世「銭を使う人々」

開催期間:平成29年9月〜

 中世になると、中国で造られた銅銭(明銭・宋銭)が流通し、信濃国でもさかんに使われました。この時代は、お金を保管する場所としてもっとも安全だったのは庭や床下などの土の中でした。銭を木箱や甕(かめ)に入れて、土のなかに埋める風習が盛んにおこなわれたのです。こういった銭を埋納銭(まいのうせん)といいます。当時使われていた明銭や宋銭とともに、実際に銭が入れられたものではありませんが、松本市の北栗遺跡出土の常滑焼(とこなめやき)の甕を展示してあります。
 また、重要文化財の市河文書「市河盛房置文(いちかわもりふさおきぶみ)」や島津家文書「薄葉景光地頭職請文(うすばかげみつじとうしきうけぶみ」からは、税を貨幣で負担していた様子がわかります。鎌倉時代の中ごろから、遠隔地を中心に、現物でなく、貨幣で納税する習慣が起こり始めるのです。さらに戦国時代になると、土地の収穫高や面積を銭に換算する貫高(かんだか)制度が一般化していきます。



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文書の世界のひろがり

常設展示室 近世「文書の世界のひろがり」
常設展示室 近世「文書の世界のひろがり」

開催期間:平成29年9月〜

 江戸時代は文書主義による社会です。土地を調べた検地帳、納税を記した年貢割付状(ねんぐわりつけじょう)、触書(ふれがき)、証文(しょうもん)、争いごとの訴えや和談などの文書、さらには田畑の売買証文などの村人同士の契約書にいたるまで、さまざまな文書が作成されました。その文書量は次第に増えていきます。
 こうした状況に対応して、文書の読み書きを教える寺子屋(てらこや)や私塾(しじゅく)の数が急速に増えていきました。江戸時代後期の信濃には、6163もの全国一を数える寺子屋や私塾が生まれました。読み書きを教えることのできる上層の農民や僧侶(そうりょ)、武士などは、自分の家を教室として、子どもや大人の生徒を集めて教えたのです。他村から師匠(ししょう)を迎える村もありました。民衆の読み書き能力は高まり、さまざまな契約も文書で交わされるようになります。寺子屋での読み書きだけでなく、さらに儒学(じゅがく)や国学(こくがく)、医学などの高い学問を学ぶ民衆もあらわれました。



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商標シルクラベル

常設展示室 近代 生糸とシルクラベル
常設展示室 近代 生糸とシルクラベル

開催期間:平成29年9月〜

生糸を輸出する際に、製糸会社が製品に貼布した商標がシルクラベルです。おもな輸出先であるアメリカに合わせて、製造社名、工場の所在地などが英語とローマ字で表記されています。シルクラベルの図柄は動植物をあしらったものや、武士や日本の神々を描いた日本的な意匠など、各社でデザインに趣向を凝(こ)らしています。このようなデザインの豊富さや面白さから、全国にはシルクラベルのコレクターも多いといわれています。当館では、以前よりシルクラベルを収集してきました。
今回は、その中から、長野県内の製糸工場のシルクラベルの一部を生糸の束とともに展示しました。ラベルに「RAW SILK(生糸)」という文字とともにその図柄をご覧いただき、明治から昭和期に、各製糸会社が信頼される製品づくりにかけた熱い思いの一端を感じ取っていただければ幸いです。



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平成29年秋季企画展「進化する縄文土器〜流れるもようと区画もよう〜」第3会場


開催期間:平成29年9月〜

平成29年秋季企画展「進化する縄文土器〜流れるもようと区画もよう〜」の第3会場として常設展示室に縄文時代中期の土器を展示しました。
縄文時代中期中葉(約5,300〜5,100年前)は、縄文土器の装飾がもっとも華やかになる時期で、さまざまな地域で独自のもようや装飾が生み出されました。東・北信〜北陸地域では流れるようなもようが、中・南信〜西関東地域では区画されたもようが好まれて用いられていたようです。縄文人のもようや装飾を生み出す感性には驚かされます。
またそういった人々が交流を盛んに行うことで、土器も運ばれていったり持ち込まれたりしました。交流を通じて、異なる文化が複雑に関わり合いながら土器のもようや装飾が進化していくこともあったようです。



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富裕農民の世界

吉田川西遺跡出土の副葬品
吉田川西遺跡出土の副葬品

開催期間:平成29年9月〜

 平安時代になると富裕(ふゆう)な農民が登場し、村の中には大きな建物があらわれます。当時、庶民は共同墓地にほうむられましたが、村の有力者はその身分に応じて、食器や鏡などとともに木の棺(ひつぎ)にほうむられました。
 塩尻市の吉田川西遺跡の墓からは、緑釉陶器の椀(わん)や皿、花と鳥の模様をあしらった青銅鏡(せいどうきょう)などが見つかりました。同じような品は、都の貴族の墓からも見つかっており、この墓の主(あるじ)が抜きんでた力をもつ人物だったことが想像されます。
 吉田川西遺跡出土の副葬品は、現在、国の重要文化財に指定されています。副葬品とともに、出土状況がわかるパネルもあわせてご覧ください。



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銭を使う人びと

常設展示室 中世「銭を使う人々」
常設展示室 中世「銭を使う人々」

開催期間:平成29年9月〜

 中世になると、中国で造られた銅銭(明銭・宋銭)が流通し、信濃国でもさかんに使われました。この時代は、お金を保管する場所としてもっとも安全だったのは庭や床下などの土の中でした。銭を木箱や甕(かめ)に入れて、土のなかに埋める風習が盛んにおこなわれたのです。こういった銭を埋納銭(まいのうせん)といいます。当時使われていた明銭や宋銭とともに、実際に銭が入れられたものではありませんが、松本市の北栗遺跡出土の常滑焼(とこなめやき)の甕を展示してあります。
 また、重要文化財の市河文書「市河盛房置文(いちかわもりふさおきぶみ)」や島津家文書「薄葉景光地頭職請文(うすばかげみつじとうしきうけぶみ」からは、税を貨幣で負担していた様子がわかります。鎌倉時代の中ごろから、遠隔地を中心に、現物でなく、貨幣で納税する習慣が起こり始めるのです。さらに戦国時代になると、土地の収穫高や面積を銭に換算する貫高(かんだか)制度が一般化していきます。



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文書の世界のひろがり

常設展示室 近世「文書の世界のひろがり」
常設展示室 近世「文書の世界のひろがり」

開催期間:平成29年9月〜

 江戸時代は文書主義による社会です。土地を調べた検地帳、納税を記した年貢割付状(ねんぐわりつけじょう)、触書(ふれがき)、証文(しょうもん)、争いごとの訴えや和談などの文書、さらには田畑の売買証文などの村人同士の契約書にいたるまで、さまざまな文書が作成されました。その文書量は次第に増えていきます。
 こうした状況に対応して、文書の読み書きを教える寺子屋(てらこや)や私塾(しじゅく)の数が急速に増えていきました。江戸時代後期の信濃には、6163もの全国一を数える寺子屋や私塾が生まれました。読み書きを教えることのできる上層の農民や僧侶(そうりょ)、武士などは、自分の家を教室として、子どもや大人の生徒を集めて教えたのです。他村から師匠(ししょう)を迎える村もありました。民衆の読み書き能力は高まり、さまざまな契約も文書で交わされるようになります。寺子屋での読み書きだけでなく、さらに儒学(じゅがく)や国学(こくがく)、医学などの高い学問を学ぶ民衆もあらわれました。



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商標シルクラベル

常設展示室 近代 生糸とシルクラベル
常設展示室 近代 生糸とシルクラベル

開催期間:平成29年9月〜

生糸を輸出する際に、製糸会社が製品に貼布した商標がシルクラベルです。おもな輸出先であるアメリカに合わせて、製造社名、工場の所在地などが英語とローマ字で表記されています。シルクラベルの図柄は動植物をあしらったものや、武士や日本の神々を描いた日本的な意匠など、各社でデザインに趣向を凝(こ)らしています。このようなデザインの豊富さや面白さから、全国にはシルクラベルのコレクターも多いといわれています。当館では、以前よりシルクラベルを収集してきました。
今回は、その中から、長野県内の製糸工場のシルクラベルの一部を生糸の束とともに展示しました。ラベルに「RAW SILK(生糸)」という文字とともにその図柄をご覧いただき、明治から昭和期に、各製糸会社が信頼される製品づくりにかけた熱い思いの一端を感じ取っていただければ幸いです。



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平成29年秋季企画展「進化する縄文土器〜流れるもようと区画もよう〜」第3会場


開催期間:平成29年9月〜

平成29年秋季企画展「進化する縄文土器〜流れるもようと区画もよう〜」の第3会場として常設展示室に縄文時代中期の土器を展示しました。
縄文時代中期中葉(約5,300〜5,100年前)は、縄文土器の装飾がもっとも華やかになる時期で、さまざまな地域で独自のもようや装飾が生み出されました。東・北信〜北陸地域では流れるようなもようが、中・南信〜西関東地域では区画されたもようが好まれて用いられていたようです。縄文人のもようや装飾を生み出す感性には驚かされます。
またそういった人々が交流を盛んに行うことで、土器も運ばれていったり持ち込まれたりしました。交流を通じて、異なる文化が複雑に関わり合いながら土器のもようや装飾が進化していくこともあったようです。



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富裕農民の世界

吉田川西遺跡出土の副葬品
吉田川西遺跡出土の副葬品

開催期間:平成29年9月〜

 平安時代になると富裕(ふゆう)な農民が登場し、村の中には大きな建物があらわれます。当時、庶民は共同墓地にほうむられましたが、村の有力者はその身分に応じて、食器や鏡などとともに木の棺(ひつぎ)にほうむられました。
 塩尻市の吉田川西遺跡の墓からは、緑釉陶器の椀(わん)や皿、花と鳥の模様をあしらった青銅鏡(せいどうきょう)などが見つかりました。同じような品は、都の貴族の墓からも見つかっており、この墓の主(あるじ)が抜きんでた力をもつ人物だったことが想像されます。
 吉田川西遺跡出土の副葬品は、現在、国の重要文化財に指定されています。副葬品とともに、出土状況がわかるパネルもあわせてご覧ください。



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銭を使う人びと

常設展示室 中世「銭を使う人々」
常設展示室 中世「銭を使う人々」

開催期間:平成29年9月〜

 中世になると、中国で造られた銅銭(明銭・宋銭)が流通し、信濃国でもさかんに使われました。この時代は、お金を保管する場所としてもっとも安全だったのは庭や床下などの土の中でした。銭を木箱や甕(かめ)に入れて、土のなかに埋める風習が盛んにおこなわれたのです。こういった銭を埋納銭(まいのうせん)といいます。当時使われていた明銭や宋銭とともに、実際に銭が入れられたものではありませんが、松本市の北栗遺跡出土の常滑焼(とこなめやき)の甕を展示してあります。
 また、重要文化財の市河文書「市河盛房置文(いちかわもりふさおきぶみ)」や島津家文書「薄葉景光地頭職請文(うすばかげみつじとうしきうけぶみ」からは、税を貨幣で負担していた様子がわかります。鎌倉時代の中ごろから、遠隔地を中心に、現物でなく、貨幣で納税する習慣が起こり始めるのです。さらに戦国時代になると、土地の収穫高や面積を銭に換算する貫高(かんだか)制度が一般化していきます。



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文書の世界のひろがり

常設展示室 近世「文書の世界のひろがり」
常設展示室 近世「文書の世界のひろがり」

開催期間:平成29年9月〜

 江戸時代は文書主義による社会です。土地を調べた検地帳、納税を記した年貢割付状(ねんぐわりつけじょう)、触書(ふれがき)、証文(しょうもん)、争いごとの訴えや和談などの文書、さらには田畑の売買証文などの村人同士の契約書にいたるまで、さまざまな文書が作成されました。その文書量は次第に増えていきます。
 こうした状況に対応して、文書の読み書きを教える寺子屋(てらこや)や私塾(しじゅく)の数が急速に増えていきました。江戸時代後期の信濃には、6163もの全国一を数える寺子屋や私塾が生まれました。読み書きを教えることのできる上層の農民や僧侶(そうりょ)、武士などは、自分の家を教室として、子どもや大人の生徒を集めて教えたのです。他村から師匠(ししょう)を迎える村もありました。民衆の読み書き能力は高まり、さまざまな契約も文書で交わされるようになります。寺子屋での読み書きだけでなく、さらに儒学(じゅがく)や国学(こくがく)、医学などの高い学問を学ぶ民衆もあらわれました。



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商標シルクラベル

常設展示室 近代 生糸とシルクラベル
常設展示室 近代 生糸とシルクラベル

開催期間:平成29年9月〜

生糸を輸出する際に、製糸会社が製品に貼布した商標がシルクラベルです。おもな輸出先であるアメリカに合わせて、製造社名、工場の所在地などが英語とローマ字で表記されています。シルクラベルの図柄は動植物をあしらったものや、武士や日本の神々を描いた日本的な意匠など、各社でデザインに趣向を凝(こ)らしています。このようなデザインの豊富さや面白さから、全国にはシルクラベルのコレクターも多いといわれています。当館では、以前よりシルクラベルを収集してきました。
今回は、その中から、長野県内の製糸工場のシルクラベルの一部を生糸の束とともに展示しました。ラベルに「RAW SILK(生糸)」という文字とともにその図柄をご覧いただき、明治から昭和期に、各製糸会社が信頼される製品づくりにかけた熱い思いの一端を感じ取っていただければ幸いです。



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平成29年秋季企画展「進化する縄文土器〜流れるもようと区画もよう〜」第3会場


開催期間:平成29年9月〜

平成29年秋季企画展「進化する縄文土器〜流れるもようと区画もよう〜」の第3会場として常設展示室に縄文時代中期の土器を展示しました。
縄文時代中期中葉(約5,300〜5,100年前)は、縄文土器の装飾がもっとも華やかになる時期で、さまざまな地域で独自のもようや装飾が生み出されました。東・北信〜北陸地域では流れるようなもようが、中・南信〜西関東地域では区画されたもようが好まれて用いられていたようです。縄文人のもようや装飾を生み出す感性には驚かされます。
またそういった人々が交流を盛んに行うことで、土器も運ばれていったり持ち込まれたりしました。交流を通じて、異なる文化が複雑に関わり合いながら土器のもようや装飾が進化していくこともあったようです。



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富裕農民の世界

吉田川西遺跡出土の副葬品
吉田川西遺跡出土の副葬品

開催期間:平成29年9月〜

 平安時代になると富裕(ふゆう)な農民が登場し、村の中には大きな建物があらわれます。当時、庶民は共同墓地にほうむられましたが、村の有力者はその身分に応じて、食器や鏡などとともに木の棺(ひつぎ)にほうむられました。
 塩尻市の吉田川西遺跡の墓からは、緑釉陶器の椀(わん)や皿、花と鳥の模様をあしらった青銅鏡(せいどうきょう)などが見つかりました。同じような品は、都の貴族の墓からも見つかっており、この墓の主(あるじ)が抜きんでた力をもつ人物だったことが想像されます。
 吉田川西遺跡出土の副葬品は、現在、国の重要文化財に指定されています。副葬品とともに、出土状況がわかるパネルもあわせてご覧ください。



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銭を使う人びと

常設展示室 中世「銭を使う人々」
常設展示室 中世「銭を使う人々」

開催期間:平成29年9月〜

 中世になると、中国で造られた銅銭(明銭・宋銭)が流通し、信濃国でもさかんに使われました。この時代は、お金を保管する場所としてもっとも安全だったのは庭や床下などの土の中でした。銭を木箱や甕(かめ)に入れて、土のなかに埋める風習が盛んにおこなわれたのです。こういった銭を埋納銭(まいのうせん)といいます。当時使われていた明銭や宋銭とともに、実際に銭が入れられたものではありませんが、松本市の北栗遺跡出土の常滑焼(とこなめやき)の甕を展示してあります。
 また、重要文化財の市河文書「市河盛房置文(いちかわもりふさおきぶみ)」や島津家文書「薄葉景光地頭職請文(うすばかげみつじとうしきうけぶみ」からは、税を貨幣で負担していた様子がわかります。鎌倉時代の中ごろから、遠隔地を中心に、現物でなく、貨幣で納税する習慣が起こり始めるのです。さらに戦国時代になると、土地の収穫高や面積を銭に換算する貫高(かんだか)制度が一般化していきます。



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文書の世界のひろがり

常設展示室 近世「文書の世界のひろがり」
常設展示室 近世「文書の世界のひろがり」

開催期間:平成29年9月〜

 江戸時代は文書主義による社会です。土地を調べた検地帳、納税を記した年貢割付状(ねんぐわりつけじょう)、触書(ふれがき)、証文(しょうもん)、争いごとの訴えや和談などの文書、さらには田畑の売買証文などの村人同士の契約書にいたるまで、さまざまな文書が作成されました。その文書量は次第に増えていきます。
 こうした状況に対応して、文書の読み書きを教える寺子屋(てらこや)や私塾(しじゅく)の数が急速に増えていきました。江戸時代後期の信濃には、6163もの全国一を数える寺子屋や私塾が生まれました。読み書きを教えることのできる上層の農民や僧侶(そうりょ)、武士などは、自分の家を教室として、子どもや大人の生徒を集めて教えたのです。他村から師匠(ししょう)を迎える村もありました。民衆の読み書き能力は高まり、さまざまな契約も文書で交わされるようになります。寺子屋での読み書きだけでなく、さらに儒学(じゅがく)や国学(こくがく)、医学などの高い学問を学ぶ民衆もあらわれました。



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商標シルクラベル

常設展示室 近代 生糸とシルクラベル
常設展示室 近代 生糸とシルクラベル

開催期間:平成29年9月〜

生糸を輸出する際に、製糸会社が製品に貼布した商標がシルクラベルです。おもな輸出先であるアメリカに合わせて、製造社名、工場の所在地などが英語とローマ字で表記されています。シルクラベルの図柄は動植物をあしらったものや、武士や日本の神々を描いた日本的な意匠など、各社でデザインに趣向を凝(こ)らしています。このようなデザインの豊富さや面白さから、全国にはシルクラベルのコレクターも多いといわれています。当館では、以前よりシルクラベルを収集してきました。
今回は、その中から、長野県内の製糸工場のシルクラベルの一部を生糸の束とともに展示しました。ラベルに「RAW SILK(生糸)」という文字とともにその図柄をご覧いただき、明治から昭和期に、各製糸会社が信頼される製品づくりにかけた熱い思いの一端を感じ取っていただければ幸いです。




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